看護師の有名な歴史の人物から学ぶ看護観|人気の有名人物まとめ

看護師の有名な歴史の人物から学ぶ看護観|人気の有名人物まとめ

歴史上の有名な看護師とは?

歴史上の有名な看護師とは?

沢山の功績を上げてきた、歴史上の有名な看護師について紹介していきていと思います。

▼クララ・バートン

共同責任とは、無責任である「人命」という重い責任を背負い続け、無責任を叱責する名言を残したアメリカ赤十字社の創立者。

▼ウォルト・ホイットマン

ジャーナリストでありながら、南北戦争では男性看護師として従事した「自由詩の父」。

▼ヴァージニア・ヘンダーソン

様々な著者看護教育の指導者として看護の定義を示し、世間にその名を広めたアメリカの看護師。

日本でも歴史上の有名な看護師としての人物たちですが、彼らが活躍する前に「看護師」という仕事の基礎を築き上げた偉人がいます。

その人物こそ、偉大なるクリミアの天使フローレンス・ナイチンゲールです

ナイチンゲールの生い立ちと功績

1820年、ナイチンゲールは貴族の娘としてフィレンツェに生まれ、何不自由なく裕福な暮らしをしていましたが、貧しさに喘ぐ貧民層の惨状を目撃したことをきっかけに、「恵まれない人々の役に立ちたい」と考え看護師になることを決意します。

ロンドンの病院で看護師になった彼女は、戦時大臣からの要請を受けてクリミア戦争に従軍看護婦として参加します

クリミアの天使と呼ばれたナイチンゲール

彼女が看護にあたったのは、不衛生な病院内で物資不足にあえぐ前線の負傷兵たちでした。

ナイチンゲールはこの劣悪な環境の改善に尽力し、42%の致死率を僅か5%まで下げるという功績を残します。

献身的に患者に付き添うその姿を見た人々から、「クリミアの天使」と呼ばれるようになりました

ナイチンゲール看護とは?

ナイチンゲール看護とは?

自身の看護理論を著した「看護覚え書」を始め、ナイチンゲール名義で150篇以上もの著作を残しています。

ナイチンゲール看護とは、看護関係の活動団体であるナイチンゲール看護研究所が、彼女の著書からまとめた看護理論のことであり、ナイチンゲール自身が残した著作ではありません

ナイチンゲール看護には、「看護の定義と介護の定義は同じ」と説く「看護の定義」など、看護覚え書を主軸にした現代看護の教示が著されています。

ナイチンゲールの「別の顔」

この研究所では、看護師としてのナイチンゲールだけでなく、教育者や統計学者など別の観点から見た「別の顔」についても著しています。

裕福な家庭で英才教育を受けていた彼女は、数学や統計学、建築学などあらゆる分野から看護の定義を築き上げ、彼女の功績は医学という枠組みに収まらない功績を残しました

クリミア戦争の致死率低下へ

特に彼女が力を注でいたのが「医学統計学」であり、これは死亡統計の改善を図るためナイチンゲール自身が発案した統計学で、現代でも死亡率や平均入院日数の計算に活用さてれています。

先に語ったクリミア戦争における致死率の低下は、死亡統計や衛生統計に対するナイチンゲールの熱意が起こした偉業であり、彼女は「衣の天使」であると同時に「近代看護教育の母」、そして「統計学の母」でもあるのです。

最初に白衣を導入したのはナイチンゲール?

最初に白衣を導入したのはナイチンゲール?

ナイチンゲールと聞いて多くの人が思い浮かべる、「白衣の天使」という看護師の呼称。

この呼び名から、白衣導入の先駆者はナイチンゲールではないかと考える人もいますが、これは事実ではありません。

白衣を導入したというのは逸話?

当時の看護師は、白いエプロンを着てナースキャップをかぶるという服装が一般的で、歴史上における白衣の登場は19世紀末からとされていますが、これには諸説あります。

白衣の天使という呼称は、クリミアの天使というナイチンゲールの2つ目の名と、白いナースウェアを身に纏っていた彼女の姿に由来するものであり、いつしか逸話が広まったのです。

ナイチンゲールが最初に導入したもの

ナイチンゲールが最初に導入したのは、実は「ナースコール」や「ナースステーション」などの看護設備でした。

最初に導入したもの

  • ナースコール(弁付き呼鈴)… 患者の体調が悪いときに看護師を呼べる仕組み。
  • ナースステーション … 患者の様子を観察しやすい空間設計。

その時代の病院は、クリミア戦争の負傷者達が苦しみに悶える劣悪な環境でした

彼女は改善の一環として、ナースコールの原型となる「弁付き呼鈴」を設置し、看護師の都合で患者のもとに向かうのではなく、患者の体調が悪いときに看護師を呼べる仕組みを作りました。

看護師が常駐するナースステーションや、患者の様子を観察しやすい空間設計、現代の病院で当たり前に導入されているシステムの基礎は、ナイチンゲールの発案によるものなのです。

ナイチンゲールの名言とは?

ナイチンゲールの名言とは?

ナイチンゲールは90年という長い生涯の中で、多くの名言や格言を後世に残しました。

A life is a war and is a fight with injustice

(人生とは戦いであり、不正との格闘である)

看護師として多くの戦いに挑んできた女傑、ナイチンゲールが残した名言の一つです。

本項では、ナイチンゲールの代表的な名言を英語と和訳を両方とも紹介し、それぞれの言葉に含まれる意味や意図、思想などを解説します。

自己犠牲精神への否定

「The martyr sacrifices themselves entirely in vain. Or rather not in vain; for they make the selfish more selfish,

the lazy more lazy, the narrow narrower」

犠牲なき献身こそ真の奉仕)

ナイチンゲールが残した名言の中でも有名なものです。

自身の体調管理が出来ない医者に、患者のケアが務まるはずがありません。

看護は犠牲行為ではなく人生の最高の喜びであり、自己犠牲のない献身こそが真の奉仕です

仕事に忙殺されがちな日本社会でこそ、胸に刻んでおく言葉と言えます。

観察とは何か

ナイチンゲールは、「看護師に課す授業のなかで、もっとも重要でまた実際の役に立つもの」として、「観察とは何で、どのようなものか教えること」と考え、以下のように説いています。

「It’s as I observe, to bring experience」

(経験をもたらすのは観察だけなのである)

迅速な看護対応につながるのは、患者の病状だけでなく表情や行動観察して得た情報によるもので、観察をせずに患者に付き添っていても無意味です。

観察」という行動があって初めて看護ができる、ナイチンゲールが説く看護の基本です

看護師資格を持っている有名人とは?

看護師資格を持っている有名人とは?

看護学校を卒業した後、看護師にはならず芸能界に入った人。

芸能事務所のオーディションをきっかけに、看護師からお笑い芸人に転職した人。

看護の道を歩まなかった理由は様々ですが、有名人の中には看護師資格を所持している芸能人モデルがいます

本項では、ケースごとに代表的な人物を挙げて紹介します。

看護師から芸能人に転職した有名人

看護師から芸能界へ転職した有名人を紹介します。

お笑い芸人 オカリナ

お笑い芸人のオカリナさんは看護師として3年間働いていた経験があり、現場では看護の観点からタレントやスタッフに配慮するなど、現在でもその経験を活かしています。

モデル 朝比奈彩

モデルの朝比奈彩さんは、助産師助手として1年間だけ働いていましたが、その短期間の内に100人以上の妊婦を見届けたという豊富な経験を持っています。

資格取得した後に芸能界入りした有名人

資格を取得してから芸能界に入った有名人を紹介します。

声優林 原めぐみ

声優の林原めぐみさんが有名で、高校卒業後は看護学校と声優養成所を両立していたものの、最終的には声優としての道を選びました。

アナウンサー 山本舞衣子

アナウンサーの山本舞衣子さんは、東大医学部を卒業し看護師と保健師の資格取得したものの、実務に就くことなく日本テレビに入社しました。

芸能活動を続けながら看護に携わっている有名人

看護師と両立して活動をしている有名人を紹介します。

看護師・コスプレイヤー・モデル  桃月なしこ

看護師の桃月なしこさんは、グラビアモデルなどの芸能活動にも関わっており、看護師・コスプレイヤー・モデルという「トリプルワーク」をこなす活動家です。

歌手 瀬川あやか

歌手の瀬川あやかさんは歌手活動を本業としつつも、時間があれば看護師として短期勤務することもあります。

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